民衆神學 (민중신학)
min jung sin hag。Minjung theology
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〈ケリュグマ〉の傳承主體とは異なる、それこそイエス〈事件〉の傳承主體として民衆に注目した。
政治的・社會的抑壓下において廣く流布される流言蜚語は、「一つの集團の運命と結びついた、ある事件の眞實性を明らかにしようとする努力」としてなされ、それゆえに、それは「過去史を語りながらも、他人の話ではない實存的な證言の性格をもつ」
「聖書は問はなければ沈默する。」
聖書は極めて多樣な證言を包含してゐるが、解放事件を證言するといふ點において一貫した文脈を有してゐる
イエスと民衆が一體となって起こす解放事件
イエスと民衆は、解放の事件のなかで一體となる。
民衆がイエスと同一の役割、すなはちメシア的な役割を擔ひうるか
數多の歷史的事件のなかで、民衆が自己超越する
イエス事件を民衆事件として受け入れた安炳茂は、逆に民衆事件のなかにイエス事件を見た
イエスと民衆の同一視を語ったのではなく、事件の地平においての同一視を語った
「生きること自體の葛藤と矛盾として問ふ問ひ」として自らを現し、被抑壓者であるヘブライと民衆を偏愛する神、「事件を起こす神」
その神は、「人が隣人と共に喜怒哀樂のなかで、事件のなかで見るほか」ない。
舊約と新約に一貫してゐる「神は人閒を誤った世から解放 (救ひ) するために事件を起こす實在」
敎會を「神の國の到來といふ、天地開闢に參加する共同體」であると斷言する。
體制によって規定される罪
人びとを罪に陷らせる構造惡
イエスが人びとの罪ではなくサタンを問題視して神の國を宣布したのは、構造惡としての罪がなくなれば、卽神の國が實現されるといふ信仰を抱いていたから
聖靈は、歷史の現場において、自己を超越する事件として經驗される。
民衆の心にわだかまってゐる渇望としての神の國の力動性
既存の體制內においては享受するものがない貧しい民衆を中心に新しく構成される神の國
神の國は現實の敎會、またはある特定の社會體制と卽同一視されるものではなく、究極の地平を含んだものではあるが、力動的な民衆事件のなかで實現されつつある
民衆が自らの限界を超越して、主體として運動を形成していく
民衆の〈事件〉以前に嚴然と存在してゐる民衆の〈實在〉